受け継がれる金鍔
名代金鍔
名代金鍔の小豆餡は、まさに江戸の餡。小豆本来のコクを活かした甘みが特徴です。希少な十勝産エリモ小豆を小豆本来のコクが残るように渋抜きし、一晩の蜜漬を経たのち、粒を潰さぬよう丁寧に煉り上げます。
刀の「鍔(つば)」をかたどった、丸い金鍔。箔のように薄く伸ばした小麦生地で餡を包み、丸く成型したものをごま油で香ばしく焼く製法は、江戸から今に至るまで変わっておりません。
定番である名代金鍔とともに、旬の食材で仕立てた餡が楽しい季節毎の金鍔もご用意しております。四季折々の榮太樓の金鍔をお楽しみください。
幕末の頃、栄太郎は、当時日本橋にあった魚河岸に集まる大勢の人たちを相手に、屋台で金鍔を商っておりました。大きくて味がよい、栄太郎が焼く金鍔は評判を呼び、大いに繁盛しました。
やがて安政4年に現在の日本橋本店がある場所に九尺二間の小さな店舗を構えるに至りました。可愛がってくれた日本橋魚河岸の人々に感謝を込めて、当時の屋号「井筒屋」を改め、自己の幼名にちなんだ「榮太樓」としました。
弊鋪の金鍔は、まさしく江戸の頃より変わらぬ小麦の薄皮の丸い金鍔です。金鍔とは、その名が表すように「刀の鍔」をかたどった菓子。ですから丸くて平たいものが本来の形です。そもそも、金鍔が作られる前に京都に銀鍔というお菓子がありました。銀鍔は粳の皮で餡を包んで焼いた菓子で、江戸に渡った折り、粳を小麦粉に変えて焼いたところ、焼色が付き「粳皮の銀色より、金色の方が上である」ということで「金鍔」と名付けられたとか。これもまた、江戸っ子の洒落というところでしょうか。
「流石武士の子 金鍔を 食べたがり」「年季増しても食べたいものは 土手のきんつば さつま芋」といった川柳や流行歌も詠まれ、金鍔が代表的な江戸菓子であったことがうかがえます。
たっぷりの餡を「小指の先ほどの小麦粉生地で箔のように薄く包む」のが伝統の技。生地で薄く包んだ餡を、ごま油を引いた銅板で香ばしく焼く…。その味は、屋台で焼いていた金鍔の味から変わらぬ、まさに江戸の味なのです。
名代金鍔の小豆餡は、まさに江戸の餡。小豆本来のコクを活かした甘みが特徴です。希少な十勝産エリモ小豆を小豆本来のコクが残るように渋抜きし、一晩の蜜漬を経たのち、粒を潰さぬよう丁寧に煉り上げます。
春には、小豆餡に桜の塩漬けがほんのりきいた桜金鍔。初夏にはさっぱりとした酸味がうれしい甘夏金鍔。夏には、すりつぶした枝豆たっぷりのずんだ金鍔、また秋には、刻み栗を贅沢に使用した栗金鍔。冬には、ほくほく甘い安納芋入り芋金鍔、そして黒ごまの深い味わいを楽しむごま金鍔。一年通じて楽しめる榮太樓の金鍔を是非、ご堪能ください。